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麒麟がくる明智十兵衛光秀は牢人医者だった?

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ドラマ

大河ドラマ「麒麟がくる」

当時一般庶民は、かかれる医者はいませんでしたので。

ケガをしたら塗り薬を塗る、腹痛には薬草を煎じて飲む、

鍼を打つ、という程度の初歩的な(少ない)医学知識でも、

医師として歓迎されていた可能性も十分に考えられます。

光秀の医学知識のレベルで言うと、「牢人医者」であったと言えます。

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明智光秀十兵衛

明智光秀が

織田信長に仕える前は医者だったことをうかがわせる古い文書が、

公開されています。

この文書「針薬方」は熊本藩細川家の家臣で医者だった米田貞能の、

熊本市にある子孫の自宅で、発見された古文書(医学書)です。
 
 
医学書(針薬方)が発見された後、調査が進められた結果では

明智光秀が若き日に色々と語った医学的知識を、

人づてに聞いてた米田貞能がまとめあげたものだとみられることが分かり、

明智光秀の活動を示す、最も古い史料とされている様です。
 

医学書の中には、出産や刀傷の対処法等、

当時としては高度な医学的知識に関する色々な記述があります。

この医学書(古文書)からも明智光秀が信長に仕える前は医者として

生計を立てていたことを、うかがわせる史料だと指摘する研究があり、

貴重な内容だとされています。

明智光秀は医者だった? 

医学知識のレベルはと言いますと、昔の歴史的文書の中には、

2014年に発見され、明智光秀が医者だった可能性があることを

示す史料が見つかった と話題になった『針薬方』という医学書も、

裏文書つきの書物でした。その末尾に、

この書物が書かれた経緯であったり書かれた日付等を

記した奥書部分に、明智光秀の名がハッキリと書かれている様です。

当時は、一般庶民がかかれる医者はいませんでした。

そこで、ケガをしたら塗り薬を塗ったり、腹痛には薬草を煎じて飲んだり、

鍼を打つて貰う、という程度の初歩的な医学知識でも、

牢人医師として歓迎されていた可能性は十分に考えられます。

初歩的な、少ない医学知識でも歓迎された時代だったと言えます。

明智光秀は牢人医師として生活していた可能性は

十分考えられるということになります。

医学書(針薬方)には、朝倉家に伝わていた塗り薬の処方が

記載されていたことから、

朝倉家で学んだ色々な知識が応用されていた可能性も注目されています。

中世の日本では、まだ占いや呪術等のようなあやしい

民間療法が信じられていましたが、

ちょうど明智光秀が誕生したとされる1528年には

日本初の印刷物「医書大全」が出版されています。

今、よくドラマで出てきます様に、明智光秀は

鉄砲の名手だったという説もあり、

最先端のものをすぐに学んで習得するのが好きだった(新しもの好き)

だったとすれば、当時最先端の医学に興味を抱いていたとしても

おかしくありません。

と言うことで明智光秀は「牢人医者」であったと言えます。

 

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

お小遣いの宝島

 

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発行情報

 [発行者] やまいち

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